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2011.07.04 Monday

Life in NY




どうも、ご無沙汰しております。日本を飛び出してはや3週間が経ちました。こちらに来てまず思うのが、日本食のありがたみ。「音楽の話じゃないのかよ!」との突っ込みありがとうございます。でも、食事は、全ての行動の根源的存在で、ハイオク車なのに軽油でエンジンを回しているような気分になってきます。全ての行動の中には、勿論音楽活動も含まれているわけで、血液の成分が変われば音楽も変わって当然だと思います。自炊してる時はよいのですが、ひとたび町で外食しようものならば、なんともみたされない気持ちになることが多いです。 比較的美味しいと思えた外食といえば韓国料理。日本に住んでたころは文化が近いなんて思ったことありませんでしたが、アジアっておおよそ味の方向性が近いんだなと、思ったりもしました。 音楽については、2年前にも感じたことだけど、やはり、音楽と人々の距離は日本なんかよりもずっと近い。日常の中に生演奏が当たり前のようにある。日本でちゃんとしたレヴェルのジャズを聴くとなるとほとんどの場合、当たり前のようにお金がかかる。NYでもダウンタウンの方だと、カバーチャージ制が多いけど、それでも値段は格段に安い。今住んでいるハーレム地区では、そもそもカバーチャージがない店の方がほとんど。地元のおじいちゃんおばあちゃんから若者まで、みんな夜な夜な音楽が溢れて来るお店の中に吸い込まれていく。当たり前のように演奏を聴きながら演奏にも耳をかたむけたり踊ったりする。いい演奏をすれば拍手をするしよくない演奏であればあまりレスポンスをしない。ミュージシャンでない人々でもみんな音楽が大好きなのだ。とにかく生活の中に音楽が自然にある。  こっちにきて驚いたことのひとつに、町中に生のピアノが点在しているということ。「雨が降ってる時はカバーをかけてあげてね」「次に弾く人が待ってるときは10分くらい弾いたら譲ってあげてね」なんて書いてあるだけで、タイムズスクエアーにもセントラルパークにもコリアンタウンにも、とにかく町を歩くと何故かピアノが置いてあるのだ。最初みた時は、気合いの入ったストリートミュージシャンが頑張って持って来て演奏してるのだと思ったら、(そういう人もいた…グランドピアノを公園に自分のトラックで持ち運んでた…何をするにも規模が凄いと恐れおののいた…)公共のおもちゃとして置いてある…。日本では考えられない光景。そのピアノはやはり人気もので、いつも誰かが弾いている。たまたまそこであった人たちが仲良くなって合唱し始める光景もみた。子供が弾いてる時もあればおじいさんが気持ち良さそうにクラシックを弾いてるのもみた。鍵盤中毒症になりつつあった自分も、この町に無造作に置いてあるピアノに随分助けられた。上の写真もそのピアノの一つ。これはセントラルパークにあったもの。随分いろんなパーツがついているw。ピンク色ものあったし水色のものもみた。音楽だけでなく、アートとも生活が近いのが伺える。セッションへ行けば勿論ピアノは弾かせてもらえるけど、はっきり行って自分のピアノのレヴェルじゃ、お粗末過ぎてまったくもって飛びいるような気分にはなれない。本業の尺八で参戦すると、みんな目玉をぱちくり開けて釘行ったように見られる。珍しさでひとしきりびっくりしたあと、演奏がよければ人気者に、うまくいかなかった時はそこそこの拍手。この分かりやすさが、ミュージシャン的には最高に気持ちよくて、癖になる部分。結局まずい飯や治安の悪さに我慢しながらもこの地にたっているのはこれが理由と行っても過言ではないかもしれない。 治安といえば、ちょっとした事件が1週間ほど前にあった。空き巣が入ったのだ。空き巣といっても、厳密にはベットで爆睡していたので、違うのだけれど、ある日扉の呼び鈴が1~2分うっすらなり続けていた。14時頃。しかし 夜な夜なセッションやライブに繰り出す生活に慣れて、14時にして布団の中で眠っていた。呼び鈴が止まったなぁと思いながらも無視して眠り続けていたら、今度は自分の部屋の扉ががちゃがちゃ揺れ始めて、(部屋の扉にも鍵はかけてある)ぼけぼけしながらもさすがに目を開け扉を見ていた。そしてがちゃがちゃし始めて1分後くらいにいよいよ扉が空いてしまった。そして赤い服を着たアフロヘアーの黒人が入ってきて、目があって、「あ、いたの?ハロー」みたいなことを言って部屋から出て行った。始めは何があったから分からず唖然としてたけど、すぐに泥棒だと気づき、家中を探したけど、とっくに逃げたあとだった。とにかく部屋にいたので、何も盗られることはなかったけど、何も危害を加えられたわけでもないのでよしとしてますが。  っと、夜も更けてきたので今日はこの辺で失礼します。ではまた。
2011.05.05 Thursday

蘇る記憶



自分の母方の祖父は、もう他界して何年も経つのだけれども、20代の頃は戦争で飛行機を操縦していたという武勇伝をよく聞かされた。幼少の頃、祖父の家に遊びに行くと、ほぼ毎回と行っていい程、飛行機関係のプラモデル、ペーパークラフトなどをもらい、作って遊ばせてもらっていた。孫には飛行機などに関心を持ってもらいたい、あわよくば孫の一人くらいは自分の後を継いで自衛隊員になってパイロットになってもらいたいなぁ、そんなことを漏らしていたこともあった。
プラモデルなどの模型だけでなく、自衛隊の航空ショーなども、何度も連れて行ってもらった。何故か遠出する時は絶対に特急電車には乗らず、各駅停車の電車で行ってたのを思い出す。理由は駅名を覚えさせたいためだったそうだ。車に乗るときは前の車のナンバーでかけ算の問題を、電車に乗ったら駅名から始まる地理の勉強。これが祖父流の教育だった。幼少の頃はいかんせん頭が痛かったのを覚えている。
祖父に連れていってもらった場所のひとつに所沢航空公園があった。そんなことはすっかり忘れてしまっていたけど、ひょんなことで、もう一度航空公園に行く事になった。公園に近づくにつれて記憶の奥底に眠っていた当時の記憶が蘇る。当時はもっと大きく感じた展示されている飛行機やヘリコプターが少し小さく感じる。手をつないではぐれないように歩いた館内。お土産売り場の模型飛行機。懐かしさの余りついつい買ってしまった。童心に返り飛行機を公園で組み立てる。ゴム動力のプロペラを回して飛行機を飛ばした。いったい何年ぶりだろう。
公園から帰る道の斜め後ろには共に祖父が歩いていてくれる気がした。
いつの日か、自分にも子供、孫ができたらまたこの場所へ手を繋いで連れて行けるだろうか。
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