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2015.03.21 Saturday

パッケージと中身

 どうも、ご無沙汰しております。ブログの記事によって語尾表現が異なってしまっています。小学校の先生に怒られてしまいそうですが、「ですます調」と「である調」を混在させたい時だってある………いや、あります。あるのです。
 別に混在した文章が「悪」と言い切らなくても良いでしょう。Majar 3rdとminor 3rdの混在するフレーズが、時にはサウンドすることもあるでしょう。3トニックオーギュメントがなんたらかんたらとか。

話は変わりますが、先日、Amazonでスニーカーを買いました。今まで履いていたadidasのスニーカーに、およそ半年ほど前から穴が開いてたのですが、次第に穴が拡大してゆき、通気性が完全に確保された時点で、ついに心が折れて、新しいものを調達する運びとなったのです。足がスースーして寒くて自転車に乗れない、歩けない
 靴を吟味する為に街へ繰り出すのが嫌で、適当な物を、入浴時のネットサーフィンで購入しました。購入に要した時間はおそらく数分。私の家は、9時から21時までしか音を出して楽器の練習ができない為、練習しているうちに大体の店の服飾関係の店は閉まってしまいます。
 私は、洋服などを調達する為に街に繰り出すのに時間を費やす行為が好きではありません。というか、そもそも洋服というものに興味をもてません。私の中では、洋服とは、商品のパッケージであり、箱なのに対し、逆に、人間としての能力がパッケージの中にある中身なのです。飲食店で言えば、店の佇まいが洋服にあたり、料理の味こそが中身、と言ったところでしょうか。私は外食する時、やはり店の佇まいはわりとどうでも良いと感じる傾向があるかもしれないけど、料理の味は凄く気になってしまうだろうし(という程舌がこえているかというと自信はないですが…)、これが料理ではなく、演奏を聴きに行った場合、仮に奏者が全身スウェットだろうが、黒の全身タイツを履いていようが一向に構わないけど、演奏に満足できなければ、即座に退場するタイプの人種なのかもしれません。味が大好きな行きつけのおんぼろラーメン屋が、ある日、内装工事したことにより財政難に陥り、材料の産地を変えた結果、ラーメンの味が落ちた、なんて事があったら、店主に対して、もうこんな店に来ない、などとは発言しないにせよ、黙って行かなくなるかもしれません。
 勿論商業ベースで、製品を沢山売るという目的で考えた場合、パッケージが重要な因子のひとつになるであろうことは言うまでもないかもしれません。ここで、初めて「効果的なパッケージを用意する必要性」というものを、ささやかながら自分の中から見い出す可能性が生じてきます。ただし、悪魔で、「良いパッケージを考え、それに対して時間をかける」という行為は、私の中では、目的ではなく、手段のひとつに過ぎないのです。良いパッケージングを考える事自体が目的(欲望の達成地点)ともなり得る人とでは、やはり多かれ少なかれ温度差が生じる可能性は否めないと思います。
 商業ベースで考え、私もいよいよファッション雑誌を購入して、節穴以下かも知れない二つの目を最大限に駆使して、ナンチャッテオシャレガイを目指すのかというと、今のところその見解には至ってはいません。私の職業で、私はとにかく良い音楽を届けることが一番大切だと思うし、仮に、仕事として良いパッケージングを求められた時には、私の理想の形としては、資本で一流のスタイリストを雇うだけの地位を演奏で手に入れた上で、ファッションはスタイリストに一任して、自分は、その日のステージの為に最大限の練習、努力、集中力を注ぐ事こそが、その日聴きに来て下さるお客様に対してできる最大限の礼儀なのではないかと勝手に思い込んでいます。洋服は、いいスタイリストに選んでもらった素晴らしく似合うものを着ることで、その場をしのげることができるかもしれないけど、演奏はその場でしのぐことは難しい、これが、練習や勉強に比べて、パッケージングに興味を持てない所以となっています。勿論スタイリストという職業を否定するつもりは毛頭ないし、人を見て似合う服を瞬時に選び出せる技能は、私からすれば立派な特殊技能に感じるし、(私にとっては、視覚的世界での絶対音感的な何かとか、相対音感的な何かをもちあわせている人くらい特殊で素敵な能力者に感じます)美味い料理を作れる料理人とも、極上の演奏をできる奏者とも、立派に肩を並べる存在に感じます。
 私の中で、洋服はその場で良いものに着替える事で、本来の自分よりも美しく見せる事ができると言う意味で、「背伸び」という概念を実現させることができるからこそ、私の中で、人を見る時の判断材料として、洋服じゃない部分の因子の重要性が増してきます。すなわち、その人がどのように思考し、行動をしているか、どのような発言をしているか、どのような表情、目、体型、肌をしているか、などです。とある焼肉屋さんのトイレには、「努力するものは希望を語り、怠ける物は不満を語る」と書いてあって、目から鱗が落ちたのを思い出しました。私にとって興味があるのは、希望を語り実現する為の努力をしつづける人だと感じました。
 話は反れましたが、装う事が困難な部分こそ、本質を見抜く上で分かりやすい材料としてうってつけ、というのが私の持論です。そして、先ほど、「仕事として良いパッケージングを求められた時」という想定を書きましたが、そもそも、演奏ではなく、パッケージングが重要視されるような仕事だったとしたら、これこそ私はほとんど興味が持てません。私は、音楽よりも、パッケージングを重要視するような方の意見に興味がない、と、言い切らないにしても、その人一人分の意見を1ポイントだとしたら、音楽を重要視して来て下さっている方の意見は、私の中で勝手に100000倍にされるようなものです。このような、勝手な自分の基準を元にピンポイントで得点を自分の中で倍増させるシステムは、実はいろんな所で発生していました。私は以前、「美しい指輪を身につけて人に自慢をする人がいても、私はその人ではなく、指輪が美しいと思ってしまうんだ」という類の、危険極まる発言をしてしまった事があったのですが、それに対して、「そんなこと言ってると女の子に嫌われちゃうよ」というありがたいお言葉を頂戴したのでした。ただ、よくよく考えてみると、その文脈の「女の子」に嫌われてしまっても、いっこうに構わない自分がいることに気づいてしまったのです。その文脈の中の「女の子」とは、その発言を聞いた時に嫌いになるタイプの女の子、を指すように思われ、そして、そのようなタイプの女の子の意見は、やはり一人につき1ポイント程度でしかなかったのです。逆に、どのようなタイプの人の意見が、100000倍システムに採用されるのかというと、そのようなセンテンスに対しても、反射的でも感情的でもなく、冷静なアナライズをした上で論理的な意見ができる人、という結論にいたりました。そんな人、そうそういるもんか?と問われますと、突然の惚気話で申し訳ないですが、そのひとりが、私の妻だったのです。私は、クラスにいる好きな子以外の全員から愛の告白をされるよりも、たとえ好きな子以外の全員から嫌われようが、そのたったひとりの好きな子からの好意のほうが、ずっと欲しかったのです。思えば、そのようにして、私は欲しい物は全て手に入れてきました。職業としての音楽、素敵な共演者、ささやかな家庭、理解の深い妻、可愛い娘、健康な体、美味いと思う物を食べられる幸せ、努力した分だけは上達してくれる体、大切な人の笑顔。わたしは、本当に心の奥底から欲しいと思う物を明確に定義付けすることによって、そうでないものとを差別化が進み、それにより、本当に欲しい物を手に入れることができたのかもしれません。仮に人が私の事を気の毒に思ったり、不幸だと思おうが、私自身は幸せでしょうがないし、やはり私にとっては、人から幸せだと思われながら自分では不幸だと思っている人生よりもずっと興味があるのです。
またもや話がそれてしまいましたが、私は、背伸びやシークレットブーツよりも、実際に大きくなることの方が遥かに興味があるのです。仮に身長を伸ばすのが現代の医学的に困難だとしても、人間としての能力、価値を伸ばす事は不可能ではないと思うし、価値を高く見せる為に費やせる時間があるのなら、私はやはり、実質の価値を上げる時間に回したいと思うのです。



 
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