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2018.03.25 Sunday

ディズニーへの道

 

どうも、ご無沙汰しております。私、小林鈴勘は今もとても元気であります。ブログの更新頻度と私の体調、精神衛生等は、基本的に関係ないととらえていただいて大丈夫かと思います。しいて言うならば、最近しばらく趣味の魚釣りに行けず、発狂しかけています。

 このブログ上で報告したかどうか、良く覚えていないし、かといって自分のブログを振り返って確認するほど、私は勤勉ではない、というかものぐさなので、取り急ぎ、初披露のごとく書きますが、私には現在5歳の娘と2歳の息子がいます。
 2歳の息子の方はまだですが、5歳の娘の方は、確か2歳か3歳くらいから、ピアノを教えてるのですが、この写真を見ればなんとなく分かるかと思いますが、一定数練習するとシールが貰える、そしてそのシールが一定数貯まると、ディズニーランドに連れていって貰える、という約束のうえ、ピアノを練習します。
 今思えば、基本的に色々間違っていたような、いないような、よくわかりませんが、娘がピアノを初めた頃は、目を輝かせて積極的にピアノに向かい、そもそもシールなんてなくても喜んでやっていたのですが、今は、何かしらの褒美がないと、ピアノの椅子にはあまり能動的に座りません。
 話はちょっと変わりますが、34年間生きてきて、最近至っている価値観のひとつ、「才能とは何か」、という問いについてですが、もちろんそれだけではないし、異論はいくらでも認めますが、「才能とは、継続する興味である」というところです。
 もちろん、「俺は100年間、ジャズピアノに誰よりも最高に興味があったぜ、でも全然うまくならなったぜ!」みたいな例もいくらでも出てくるとは思います。なので、まぁ、おおまかに言うと、くらいで、本日はとどめておきますが、身の周りの大成しつつあるプロのミュージシャンを見ていると、やはり、その実力と音楽への興味(言い方を変えると執着?)に関しては、概ね比例関係を感じます。
 ところで、またまた話は変わりまして、最近、人間の脳って凄いなとつくづく感じたりしています。人類の歴史を見れば、不可能に思われるような大それたこと(空を飛ぶだとか宇宙へ行くだとか素粒子がどうだとか)でさえも、大概のことは実現していってしまうし、身体的に、初めはあまりできないようなことも、正しい反復練習を続けると、少しずつ出来るようになっていく。私にとって身近な話で言えば、こんなフレーズ、どうせ自分なんかには吹けないだろう、みたいなことも、考え方を変えて、本気で、それが出来るようになる姿を望んで頑張ってトライしつづければ、不思議と出来るようになっていく。この、もともとはできないようなことでも、正しい反復を継続することでできるようになっていく、という素敵な能力は、おおまかにいえば、健康な人類の大半が備えている類の事と思われます(異論は認める)。仮に、もしできなかった場合、大半は、練習の内容や方法が間違っていた、もしくは、練習の時間や努力の量が足りていない、のどちらか、もしくは両方、である場合が多いと感じます。
 ただ、このパターンに自分をはめ込むには、先ほど書いた「継続する興味」という、重要な燃料を必要としているように感じます。
 もちろん、この「継続する興味」がなくても、「これを出来るようにならなければ拷問にかけられて殺される」と言われ、そして、目の前で、10人連続で、出来るようにならなかったせいで、拷問にかけられて殺される姿を目の当たりにすれば、全力で、出来るようにする方法をフルで考え、自分の中で最大限の効率でできるようになる術を考え、極めて高い効率で出来るように努力するかもしれません。
 ただ、これは、「これを出来るようにならなければ拷問にかけられて殺される」、という環境から抜けたら、とたんに努力をやめてしまう事も多いのではと感じます。勿論、生まれてから死ぬまで、この、恐ろしい環境が続けば、死ぬまで恐ろしいスピードと効率で、ありとあらゆることができるようになっていくかもしれませんが(実際そのような環境が現実にあるっぽい話を聞くのは実に残念ですが…)この、「できるようにならなければ殺されるという環境」と、「できるようになったら褒美がもらえる環境」という私の娘の環境とは、ちょっと似ている面があると思うのです(異論は認める)。
 またまた話は戻りまして、先ほども書きましたが、私は現在、自分の娘にピアノを教えている訳ですが、厳しくレッスンすると、その分だけ、一見早く、出来るように見えることが多く、ついつい力が入ってしまったせいなのか、私の娘は、大分、ピアノを弾くという行為が、好きではなくなってしまったように見えるのです(異論は認める&今後どうなるかも分からない)。
 娘の話をしていましたが、教えたのが、私なんかではなく、教えるという能力の長けた、ピアノという楽器、そして音楽というものがどれだけ楽しく素晴らしいかを上手に伝えられる素晴らしいコーチだったら、このようなシールや褒美がなくとも、自ら音楽の渦に身を投じるような、「継続する興味」を私の娘の胸に植えつけられたのではないか…と、感じ、私はつい肩を落とすのです(異論は認める)。
 ここまでの文で、揚げ足を取ったり異を唱えることは結構出来るとおもいますが、この次の文に関してはそれがいささか難しいかと思います。
 肝心の私が、物事を教える、という行為に、現在、興味が持てませんm(_ _)m
 はい、若干問題発言でしたね。
 炎上するかもなので多少焼け石に水を撒いてみるとするならば、、、、、。
 確か「のだめカンタービレ」って漫画で出てきた台詞に、私の気持ちに近い表現があったような気がするのですが、
主人公、のだめぐみちゃんの先生が、「ぼくは、やる気のない生徒をやる気にさせるほどやる気のある教師じゃないんだよ」と言っていました。私は教師を出来るほどの実力が足りているとも感じることはできないし、教えるという事に対しても、継続した興味なんて現状、持ち得そうもありません。もちろん、「〇〇について分からないのですがどうしたらできるようになりますか?」ときかれたら、知っている限りのことは一人の人間として、出来る範囲では説明すると思いますが、とにかく、それを上手に説明する自信もそんなにないし、それが正しいという確信もないし、説明できる項目の数も極めて少なく感じるし、究極的な事を言ってしまうとすれば、人に教える時間があるなら自分を上達させる時間に充てたい、という気持ちが根底にあります。
 ここまでの文章で、不快になられる方がいらっしゃいましたら深くお詫びさせていただきますm(_ _)mまだまだ未熟な若造(?)の未熟な発言だな、と、鼻で笑って済ませていただければ幸いです。勿論異論は認めます。
 さて、ここでまた話は戻ってきますが、それでも、ここまでこのような文章を書きつつも、結局私は娘に、明日からも頑張ってピアノを教え続けます。何故かと言うと、、、
 私自信が家族でディズニーランドに行きたいからです。
 まぁ、私の思考回路なんてそんなもんです。。。
私の現在抱いている「継続している興味」の矛先、それは、私の音楽の上達、楽しく家族で過ごせる時間、次にいつ魚釣りに行けるか、それくらいのもんです。
コメント
ところでいつ頃行けそうなのでしょうか〜(^-^) 
  • ばんび
  • 2018.03.25 Sunday 05:55
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